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爻辞
爻辞は、周の文王の子で、魯の国祖、周公旦の作と伝わり、また象辞とも言い、卦中の爻の意義を書いたものである。
初六
初六、剝牀以足蔑、貞凶、
象曰、剝牀以足、以滅下也、
【書き下し】
初六は、牀を剥するに足より蔑ぼす、貞くすれば凶なり、
象に曰く、牀を剥するに足よりすとは、下より滅すを以ってなり、
牀とは、座ったり寝たりして寛ぐための台であって、要するにベッドみたいなものである。
初六は剥の始めなれば、これは小人が君子を剥し削るの初めである。
もとより君子なる者は、尊貴なので牀の上に居るものである。
初六の小人はその牀の下に侍り居て、密かにその牀の足より剥し落とそうとするの象がある。
だから君子に警め諭して、牀を剥するに足より蔑ぼす、という。
蔑は滅と同義。
そももそ小人が君子を害そうとするのは、その策謀が実に奇妙不測にして、君子に気付かれないように忍び寄るものである。
例えば牀の上にいる君子を害するのに、まずは密かにその牀の足よりするがごとくである。
このようなことは、深く恐れて慎み防ぐことが大事である。
君子は幾を見て行動することを尚ぶものであっり、このような危険な時に当たっては、貞固に常経に執着し、旧格先例に固執するのは凶の道である。
臨機応変に小人の害を避けなければいけない。
だから、貞くすれば凶なり、という。
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六二
六二、剝牀以辨蔑、貞凶、
象曰、剝牀以辨、未有與也、
【書き下し】
六二は、牀を剥するに辨より蔑ぼす、貞くすれば凶なり、
象に曰く、牀を剥するに辨よりすとは、未だ与ぶこと有らざるとなり、
六二もまた初六と同じく陰邪の小人にして、牀の上の君子を害そうと謀る者である。
六二は初よりも一級進み上がっているので、これは未だ直接的な被害が及ぶことはないが、やや害が君子に近づくという義である。
辨とは牀の足の上、寝座する台の上と、台の下を分ける部分のことである。
だから、牀を剥するに辨より蔑ぼす、貞くすれば凶なり、という。
貞凶の義は初六に同じ。
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六三
六三、剝之无咎、
象曰、剝之无咎、失上下也、
【書き下し】
六三は、之を剥するごとくなれども咎无し、
象に曰く、之を剥するごとくなれども咎无しとは、上下を失えばなり、
この卦は五陰爻を以って一陽爻を剥し尽くそうとする象にして、言うなれば、五人の小人が徒党を組んで一人の君子を殺害しようと計画しているときである。
その中に在って、この六三の爻は、上九の応の位なので、直ちに進み往き、上九に害応して、これを剥し落とそうとする爻である。
これは上九の君子の危急切迫の時である。
しかし、幸いに六三の爻は、表面的には上下四陰爻の小人と同じく、上九を害するがごとくの態度を示すが、内心は密かに上九に正しく応じて、これを補佐し守護する者である。
要するに六三は、表向き姦邪の四陰爻と行動を共にしつつも最終的にはその上下の四陰爻に背き、密かに上九の君子を助けるのである。
だから、之を剥するごとくなれども咎无し、という。
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六四
六四、剝牀以膚、凶、
象曰、剝牀以膚、切近災也、
【書き下し】
六四は、牀を剥すること、膚に以ぶ、凶なり、
象に曰く、牀を剥すること、膚に以ぶとは、災い切近なるとなり、
爻の次第を以って言えば、初は牀の足、ニは牀の辨、三は牀の本体、四は牀の上の人の身体にして、陰柔の皮膚とする。
だから、牀を剥すること、膚に以ぶ、凶なり、という。
以の字は、ここでは「およぶ」という意である。
これは災いがかなり近く、君子の身に危険が迫っていることを示す。
したがって、凶であることは必然である。
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六五
六五、貫魚、以宮人寵、无不利、
象曰、以宮人寵、終无尤也、
【書き下し】
六五は、魚を貫くがごとく、宮人を以れて寵せらる、利ろしからざること无し、
象に曰く、宮人を以れて寵せらるとは、終わりに尤无きとなり、
魚とは陰物にして五陰爻に喩えている。
これを貫く者は上九の一陽爻である。
これは、五陰の小人を一陽の君子が統べ御するという義に喩えたのである。
だから、魚を貫くがごとし、という。
卑賤の小人は必ず君子に承け仕えるべきだ、ということを教え示しているのである。
宮人とは、衆陰爻を指して言うのであって、六五の爻は衆陰の上に在って、陰柔にして尊位に居るので、これを后妃の象とする。
要するに、六五の后妃が衆陰の宮女を率いて上九の君に寵愛される象である。
だから、宮人を以て寵せらる、利ろしからざる无し、というのであって、こうであればこそ、咎められることもないのである。
宮人とは内宮の女官である。
なお、諸卦にては、五を以って天子の位とするが、この卦だけは上九を以って天子君上とする。
陰は卑しく陽は尊い、陰を小人とし、陽を君子とする。
この卦は上九の一陽剛のみ尊貴にして上に居て、なおかつ成卦の主爻となっている。
そこで、上九を天子に配し、君の位とするのである。
また、この卦の象は、実に衆陰が長じて上り、上九を害そうとしているのである。
ことに、この六五の爻は、上九に隣接して比している。
これは害比を以って、直ちに上九を剥し尽くそうとする一団の魁首たる者である。
しかし、小人が徒党を組んで君子を害し、姦臣増長して君上を弑殺するなどというのは、忌み憎むべきことである。
そこでその義を転じて別象を挙げ、深く警める目的で、小人ならば、魚のように君子に貫かれ順い、宮人のように天子に奉侍するべきだ、と、教えているのである。
これは六五の爻のみならず、六三も卦爻の実を以って言えば同様である。
六三は上九に害応して、これを剥し尽くそうとする者だが、小人が君子を害するのは忌み憎むべきことなので、義を転じて君子を助け応じるものとしているのである。
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上九
上九、碩果不食、君子得輿、小人剝廬、
象曰、君子得輿、民所載也、小人剝廬、終不可用也、
【書き下し】
上九は、碩いなる果、食いやすからず、君子は輿を得、小人は廬を剥すべし、
象に曰く、君子は輿を得るとは、民の載する所なればなり、小人は廬を剥すとは、終わりに用う可からざるとなり、
上九の一陽剛君上の爻に、碩大の徳が有ることを大いなる果実に喩えているのである。
もとよりこの一陽剛は、天下衆陰が群がり集まって剥し落とそうと画策しているのであって、その各陰は、それぞれ共にこれを食わんと舌打ちして狙っているのである。
としても、上九は高く卦の極に在るので、陰短の小人の企ては及び難く、おいそれとは食らえないのである。
だから、碩いなる果、食いやすからず、という。
さて、その食らいやすくない原因としては、次のようなこともある。
まず、天の道を以って言えば、衆陽を剥し尽くして、陰のみが存在するべきだという義があるわけではない。
人事を以って言えば、君子が亡び尽くして、小人のみが存在する理があるわけでもない。
上に剥し尽きれば、必ず下に始まる。
草木が上に黄ばみ落ちれば、必ず次には、下に萌芽するのと同様である。
「序卦伝」に「物以って尽きるに終わるべからず、上に窮すれば下に反る、故に之を受くるに復を以ってす」とあるのは、このことである。
したがって、君子はこの時に当たって、一旦は剥されたとしても、やがて自然に天地神明の護祐を得て、期せざるところの輿を得るような天幸の福祐が有るものなのである。
対する小人は、陰悪増長の報いにて、却って自己の住居を剥され奪われるような災害苦罰を受けるべきなのである。
だから、君子は輿を得、小人は廬を剥すべし、という。
前の卦=22山火賁 次の卦=24地雷復
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