危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第三章 古事記序文の暗号解読
1、歴史改竄への道! 2、持統天皇の悪だくみ 3、天武天皇の願い
2、持統天皇の悪だくみ
〇 元明天皇に対する言葉が怪しい
まず怪しいと感じたのは、岩波大系本では序第三段としている「伏して惟に皇帝陛下」以下の、元明天皇を称える文章である。
伏して惟ふに皇帝陛下、一を得て光宅し、三に通じて亭育したまふ。
紫宸に御して徳は馬の蹄の極まる所に被び、玄扈に坐して化は船の頭の逮ぶ所を照らしたまふ。
日浮かびて暉を重ね、雲散りて烟に非ず。
柯を連ね穗を并す瑞、史書すことを絶たず、
烽を列ね訳を重ぬる貢、府空しき月無し。
名は文命よりも高く、徳は天乙にも冠りたまへりと謂ひつ可し。
冒頭の「伏して惟ふに」は、臣下が君上に対して発言するときの慣用句で、「平伏して、畏れながら申し上げます」といった思いを込めた言葉である。
皇帝陛下というのは、古事記撰進の日付に基づけば、当時の元明天皇を指していることになる。
したがって普通に読めば、畏れながら元明天皇に申し上げます、といった意味になる。
しかしこれが、いわゆる暗号みたいなものであるのなら、「伏して惟ふに」は、同時に「裏に伏せたことがある」と、読者に示しているものとも言える。
続く文章は、表面的には内容のない歯の浮くような修辞の羅列だが、内容がないからこそ、何かありそうな気配を感じる。
まず気になったのは、一を得て光宅し、三に通じて亭育したまふ、である。
表面的な意味は、「一を得て」は「即位すると」ということ、光宅は、徳が満ち溢れていること、
「三に通じて亭育したまふ」は「天地人の三才に通じて民衆を化育した」ということだが、
ピーンと来たのは、そんな文意ではなく、ここに一と三という数字が出て来ることである。
古事記撰進の和銅五年、西暦712年は皇紀1372年なのだから、この時代は皇紀一千三百年代である。
とするとこの一と三は、皇紀の上二桁の可能性がある、と気付いたのだ。
この先の文章に、下二桁を特定する何か重要な手掛かりがあるのではないか、ということである。
そこで、そういう視点で続く文章を探った。
〇 元明天皇への言葉を装って持統天皇の策謀を暴露
乱数表(易の理論)
紫宸と玄扈は、同じ場所を言い換えているだけなので、この両者の違いは、「御す」と「坐す」である。
御すは出る、坐すは止まる、という意だ。
「出る」ということは、易では☳震(雷)が意味する。
☳震(雷)は、本来上にあるべき陽が最下にあるので、その最下の一陽が二陰の上に出ようと震い動いている様子、したがって「出る」という意味を持つのだ。
坐すとはその場から動かないことすなわち止まることを意味するが、易では☶艮(山)が止まるという意味を持つ。
☶艮(山)は☳震(雷)とは逆に一陽が最上の位置にあり、下二陰を従えているので、陽が上・陰が下という陰陽の定理に適った状態、動く必要がないから止まっているのだ。
そして☳震(雷)が示す数は四、☶艮(山)が示す数は七である。
したがって「御す」は四、「座す」は七という数字を意味し、上の一と三と合わせれば一三四七=皇紀1347年を示していることになる。
この年は持統天皇の元年である。
とするとこれ以下の文章は、持統天皇について、何か教えようとしているものと考えられる。
そう思って続く文章を読んでみると、表面上とは違う意味を汲み取れることに気づいた。
日浮かびて暉を重ね、雲散りて烟に非ず、
柯を連ね穗を并す瑞、史書すことを絶たず。
この文章は、一般には瑞祥を羅列したものだと考えられているが、日浮かびての日は、日嗣という言葉があるように天皇を指すものとも受け取れる。
とすると「日浮かびて暉を重ね」は、架空の天皇を次から次へと創作し、それらを並べて皇位継承の歴史とした、という意味にもなる。
雲散りて烟に非ずは、雲や烟は太陽すなわち日を遮るものだから、その光輝く皇統の歴史に邪魔になる真実はすべて切り捨てた、と解釈でき、続く、柯を連ねは易の算木、穗を并すは筮竹を連想させるので、この書物に書かれた歴史は、易の理論に基づいて創作したものである、と示していることになる。
「烽を列ね訳を重ぬる貢、府空しき月無し」は、烽は狼煙のことだから、烽を列ねるで遥か遠いこと、
訳を重ぬるは、何度も通訳を重ねないと意志の疎通ができないことだから、中国や朝鮮など遠い異国の物語を翻案して採り入れた箇所が数多くあり、また、全国津々浦々の豪族たちからの、家柄を格調高くしてもらいたいがための貢ぎ物で朝廷内の倉庫は溢れ返っていた、とも読める。
最後の「名は文命よりも高く、徳は天乙にも冠りたまへり」は、ここがちょっとカギだった。
文命や天乙は論語や易経の読者にはお馴染みの古代中国の王様である。
文命は夏の禹王のことだが、文=文章の命という意味に取れば、「名は文命よりも高く」で、登場人物の名は本文の物語よりも重要だ、と言っているものと解釈できる。
次の天乙は殷の湯王のことで、湯王は周易が完成される前の人物だから、天乙に冠る徳は周易を修めること、と言える。
したがってこの部分は、真実は周易の理論によって知ることができる、と示すものと読める。
言うなれば、易の理論を乱数表として使った暗号文書だ、と示しているわけである。
元明天皇を称える文章から読み取れるのはこれがすべてだが、確かに古事記日本書紀の本文の物語ではなく、各天皇や神々の名前に注目し、これを易で解釈することによって、国之常立神から持統天皇に至る円周を発見した。
とすれば、この解読に誤りはないものと断言できる。
そこで、さらに古事記序文を探ったのだが、次なる暗号は序文第二段の天武天皇の徳を称える文章の中に組み込まれていた。
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