1、不老不死を手に入れる方法
前章の最後で、古代女帝たちの世界を次のように、大雑把にお話しした。
古代日本は、家督が代々母から娘へと受け継がれる母系母権制社会で、代々の女帝たちは自らを神格化し、あるおぞましい儀式を行うことで、自分は死んでも魂は自分の娘の腹の中に宿り、やがて孫娘として蘇ることができる、と考え、その蘇りを繰り返すことで永遠に生き続けられると信じ、それを実行していた。
また、この時代には、男女が決まった相手とだけ夜を共にする夫婦とか結婚といった風習や制度はなく、気分次第で夜毎異なる相手と過ごしたり、大勢の男女が入り乱れて一夜を過ごすといったことが日常的に行われていた。
したがって生まれて来る子の父親は特定されず、その結果、男性に父親という立場が与えられることはなく、生涯、母や姉妹などの女性の管理下で暮らしていた。
まして男性は、女帝の息子であっても、子供を産めないので蘇りは不可能なことから、その社会的立場は低く、生涯を通して言わば半人前としか扱われなかった。
としても、それか当たり前の社会だったので、女性たちに虐げられても性的には満たされていたからか、男性たちは誰も不幸だとは感じなかった。
これまで、古代史ロマンな学説を楽しんでいた私としては、おいそれとは信じ難いことだが、もっと信じられないのが、女性たちの蘇りの方法だった。
これは皇統譜の円周から外れる古事記の別天神五柱の神名と、その五柱と関連するいろいろな場所に分散して示してあった。
追々詳しく触れるが、まずは解読して得た全容をまとめておく。
〇 女帝たちの蘇りの秘術
女帝たちは年老いて醜くなる前に、まず蝮に噛ませて自殺する。
するとその末娘が母の肉を食べ、血を飲むことで、母の魂が自分の体内に宿ったものと信じる。
いわゆる宗教儀式としての食人、カニバリズムということなのだろう。
その後、多くの男性と肉体関係を持ち、妊娠を待ち、女の子が生まれると、その子を母の蘇りだと信じて育てる。
生まれたのが男の子だった場合は、母の魂が乗り移らなかったものとして、改めて妊娠を待つ。
この女帝たちは胎児を神とし、その胎児から生まれた自分も神だとして、いわゆる神懸りのようなことをしてお告げを下し、社会を支配していた。
太安萬侶や舎人親王は、その時代を畜生同然の世の中だった、と評した。
現代人にとっては食人はタブーだが、日本書紀では欽明二八年条に「洪水で飢えて食人が行われた地域があり、近隣から穀物を分け与えて救った」という記事があるのだから、奈良時代からすれば、食人はそれほど特異なことではなかったのだろう。
今から30年程前、平成の初め頃、奄美地方出身の古代史研究家の配山実氏が、民族学者の折口信夫の説と奄美や沖縄に伝わる風習を検証して、昔は死者を食べて供養することが行われていた、といったことを『縄文の巫女の道』(かのう書房)という本に書いていた。
その後、奄美や沖縄では、死者の代わりに、通夜に豚肉を食べるようになったとのこと、太古には日本全体がそうだったこと、娘が死んだ母を食べて体内に母の魂を宿し、妊娠して出産すると、それを母の生まれ変わりだと信じていたのではないか、という問題提起など、通常の歴史学では受け入れがたい話を書いていて、興味深く読んだのだが、まさにそのとおりのことが、暗号で示されていたのだ。
ただし配山氏は太古のこととしていたが、暗号によると、大化の改新の頃も、まだその食人による蘇りは行われていたのだった。
さて、このことを教える暗号はどこに仕込まれているのか。
まずはその辺りから切り込む。
〇 用明天皇〜橘〜非時香菓〜田道間守
乱数表(易の理論)
取っ掛かりは前章で男女の別を教える暗号のひとつとして取り上げた用明天皇の国風諡号の橘之豊日である。
そこでは、豊は55䷶雷火豊で妊娠、日は☲離(火)を通じて女性を示すから、豊日で、妊娠する女性、という意味になり、即位元年の皇紀一二四六年下二桁の四六が、四は☳震(雷)・六は☵坎(水)だから、40䷧雷水解で解消という意味になるので、この人物は即位前に薨去した女性=皇女となる、ということをお話ししたが、ここで注目したのはその国風諡号で残っている文字の橘である。
橘はみかんのような柑橘系の果物を実らせる木のことだが、この橘について日本書紀の垂仁天皇の九十年春二月条に気になる記事がある。
要約すると、次のようなことである。
垂仁天皇は田道間守という人物に命じて、常世の国へ非時の香菓を探しに行かせた。
しかし、田道間守がなんとか見つけて帰ったときには、すでに垂仁天皇は崩御していたので、自分も自害した。
この非時香菓は今の橘のことである。
常世の国というのは神仙=不老不死の仙人が住む場所だから、この非時香菓である橘は、不老不死=永遠の生命を象徴していることになる。
柑橘系の果物は、特に冬場に食べると、こたつにみかん、なんていう言葉があるように、その酸味と甘さで、なんだか生き返ったような気分になるものだが、やはり古代からそんなことを感じながら食べていたのだろう。
とにかく、この田道間守の物語をにより、橘と非時香菓=不老不死=永遠の生命がリンクし、用明皇女の国風諡号、橘之豊日は、永遠の生命・妊娠する女性というキーワードになるのだ。
また、非時香菓は、素直に意味を汲めば、時を選ばずにある香りのよい菓子=果物、といった意味になるのだが、易の卦に置き換えると、時は日・土・寸に分解すれば、日は☲離(火)、土は☷坤(地)、寸は☱兌(沢)となるので、☲☷☱離坤兌(火地沢)で、☷☱坤兌の部分は第四章の3でお話しした高市皇子の高市を易の卦に置き換えた時と同様に二本で一本と見做せば☳震(雷)だから、合わせて21䷔火雷噬嗑となる。
噬嗑は噛み合わせるという意だから、非時は非・噬嗑すなわち噛み合わせるに非ずで、食べ物ではない、という意味になるのだ。
香の字は上の禾は稲を意味するから☳震(雷)、日は☲離(火)となるので、合わせてこれまた妊娠を意味する55䷶雷火豊になる。
菓は、艸冠は草のことだから☴巽(風)、下の果は陽気が充満しているものとして☰乾(天)が示す事象とされているので、合わせて9䷈風天小畜、6孝安天皇のA列となる。
孝安天皇は、前章でお話ししたように、女帝である上に、国風諡号が大倭帯日子と、大の字が付くから、複数の人物をひとまとめにしたものである。
とすると、非時香菓は、古代の女帝たちの性交と妊娠、という意味になるのだ。
そこで孝安天皇の古事記の崩御時の年令の一二三歳を見る。
第二章追補1でお話ししたように、A列䷈風天小畜は下から四番目の一陰が上二陽の力を借りて下三陽を畜めている形なので、この一二三という数字の並びと繋がっていた。
と同時に、一二三を素直に易の卦に置き換えると、一は☰乾(天)、二は☱兌(沢)だから、一と二で10䷉天沢履となるので、その下から三番目の位置を指していることにもなる。
易経を開くと、その䷉天沢履の下から3番目の位置の意義を、次のように示している。
「眇能視、跛能履、履二虎尾一、咥レ人」(原文)
「眇にして能く視るとし、跛にして能く履むとす、虎の尾を履めば人を咥らう」(書き下し)
現代語に訳すと、目が悪いのによく見えると思い込み、足が悪いのによく歩けると思い込んでいるようなもの、このまま行けば虎の尾を履み、それと気づかずに逃げ遅れて虎に嚙み殺されて食われてしまう、ということである。さらに詳しく知りたい場合は易経詳解のページをどうぞ。
これが暗号ならば、孝安女帝としてまとめられた古代の女帝たちは、無知蒙昧だったがために、進んで虎に咥われるようなことを行っていた、と示していることになる。
しかし古代日本に虎がいたとは考えられない。
したがってここは、進んで死んだ、すなわち自殺した、という意味に取るしかない。
要するに、古代の女帝たちは代々最後には自殺していた、と示していることになるのだ。
永遠の生命と自殺は、何やら矛盾するようでもあるが、それは後で考えるとして、次に非時香菓を求めて常世の国へ行くことを命じられた田道間守という名前を探る。
冒頭の田道は、田は☷坤(地)を通じて母を意味するものと考えられる。
西洋キリスト教でも天に在します父なる神、母なる大地という言葉があり、易と同じように天地の関係を父母に擬えているのが不思議ではあるが、とにかく易でも☰乾(天)を父とし、☷坤(地)を母としているのだ。
したがって田道は母道、現代の言葉で言えば母系母権制社会を指していることになる。
母系母権制社会とは、前章の最後で少しお話しした約四十年程前までの中国雲南省の山奥に住むモソ族のように、女性が絶対的権力を持ち、家督は母から娘へと受け継がれ、男性は生涯母や姉妹である女性の支配下で生きる社会である。
古代には山奥ではなく、かなり身近に存在したことを、司馬遷の史記の商君列伝で窺わせ、日本書紀では景行天皇の四十年七月条に、蝦夷がそういう社会だと窺わせる記事がある。
史記商君列伝「商君曰、始秦戎翟之教、父子無レ別、同レ室而居」(原文)
「商君曰く、始め秦は戎翟の教えにして、父子は別無く、室を同じくして居る」(書き下し)
日本書紀景行四十年秋七月条「蝦夷是尤強焉、男女交居、父子無別」(原文)
「蝦夷は是れ尤だ強し、男女交わり居り、父子は別無し」(書き下し)
ここにある父子無別、男女交居というのが母系母権制社会を指すのだ。
男女交居とは、多くの男女が雑魚寝して暮らしていることで、そうしていれば女性はいろんな男性と交わるから、生まれる子の父親は判然としない。
だから、父子無別となるのであって、父系父権制社会であれば、特定の男女だけが室に居るので、生まれる子の父親が特定され、父子有別となるのだ。
これについは追って詳しくお話しするが、今はこういう記事がある、ということだけを指摘するに止め、話を先に進める。
田道に続く間の字は、門と日に分ければ、門は☶艮(山)、日は☲離(火)なので、22䷕山火賁で19反正天皇のA列となる。
反正天皇の国風諡号の蝮之水歯別の水歯別は、第二章追補2でお話ししたように䷕山火賁が水と歯に別ける卦だということと繋がっているわけだが、残る蝮は、この山火賁とは無関係だった。
蝮(たぢひ)は現代では「まむし」と読むように、マムシの古い呼称である。
とすると、この間に続く守の字で教えようとしているのは、蝮が守っていた、ということ。
すなわち田道間守で、母系母権制社会は蝮が守っていた、という意味になるのだ。
永遠の生命、性交と妊娠、自殺、母系母権制社会、蝮=マムシ、なんか見えて来そうな感触がするではないか。
そこでさらに探ると、皇統譜の円周から外れる別天神五柱に暗号は隠されていた。
別天神五柱とは、古事記冒頭に列挙されている天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神の五柱のことである。
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