危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第七章 第八章 第九章 第十章
第六章 古代女帝たちの鬼畜な不老不死の秘術
1、不老不死を手に入れる方法 2、別天神五柱の暗号 3、解明!天照大御神そして倭 4、古代日本ヤマトイ国の真実!
3、解明!天照大御神そして倭
〇 天照大御神は孝昭女帝のことだった!
乱数表(易の理論)
高天原が創作ならば、皇祖とされる天照大御神とは何者なのか、ということになるが、それは次のようなことだった。
天照大御神の天照は、天は☰乾(天)、照は☲離(火)だから13䷌天火同人となり、この卦は天照大御神のD列であるとともに、B列では古事記で最初に登場する天之御中主神の位置となる。
その天之御中主神は、天は☰乾(天)、御は三という数を通じて☲離(火)となるので、天之御で、13䷌天火同人となるのだ。
したがって天照大御神と天之御中主神は、13䷌天火同人という卦で繋がっているのだ。
また、日本書紀では天照大御神の別名として大日孁貴とい名を記載しているが、この中の孁という字は、霊の正字の靈に似ているが、下が女で、こんな字は通常使われることがなく、ここだけにたった一度使われている字なのである。
とするとこれも暗号の可能性が高いので、上の大日と合わせて易の卦に置き換えてみる。
まず大日は、大は☰乾(天)、日は☲離(火)だから、天照と同様13䷌天火同人となる。
孁はこのままでは意味が取れないので、雨・口・口口・女と、分解する。
すると雨は☵坎(水)、口は☱兌(沢)で少陰だから計三つの陰⚋で☷坤(地)となるので、雨・口・口・口の部分で8䷇水地比となる。
残るは孁の下の女の部分と、貴=貴いという字なので、大日孁貴で、13䷌天火同人と8䷇水地比と繋がる貴い女性、という意味になる。
13䷌天下同人と8䷇水地比と繋がる貴い女性と言えば、暗号が初代の女帝だと教える孝昭女帝である。
第二章の4でお話ししたように、5孝昭天皇のA列は8䷇水地比で、国風諡号の御真津日子訶恵志泥は、13䷌天火同人を裏返して捩じると8水地比になる、という意味を読み取れた。
これは、天照大御神と天之御中主神と孝昭女帝の三人が実は同一人物であって、その本質は女帝たちの腹の中の胎児の象徴だったのだ。
そう言えば、三種の神器のひとつ、八尺瓊勾玉は胎児を象ったものだとも言われているではないか。
とすれば、鏡は自分を映すもの、剣は断ち切るものだから、皇位継承に三種の神器が必要な理由は、女帝たちの、自分の肉体は死んでも魂は胎児に乗り移って蘇る、という永遠のサイクルを断ち切る、という意味を込めたのではないだろうか。
そして、女帝たちの腹=子宮の中の胎児を、天上界の太陽という手の届かない存在に置き換えて、胎児と神を切り離すために、表向きには太陽神と位置づけたのだろう。
とにかく、肉体と魂は別物だと考えず、自分の死を冷静に死として受け入れる社会にする、という願いである。
〇 なぜ古代日本は倭と呼ばれたのか
この女帝たちの蘇りの方法がわかったことで、神武天皇の国風諡号、神倭伊波礼毘古の意味と、日本が中国から倭と呼ばれた理由も見えてきた。
古事記では、神武天皇が生まれたときの記事に、複数の名前を列挙していて、その中に、若御毛沼命、豊御毛沼命、というのがある。
この二つの名前は、頭の若と豊が違うだけである。
まずは、若を易の卦に置き換える。
若は、上の艸=草冠と下の右に分ければ、艸は☴巽(風)、右は陰だからその極みの☷坤(地)とすれば、20䷓風地観となる。
易経の20䷓風地観を説明する文章の中の彖伝しょうでんというところには、「観一天之神道二=天の神道を観る」、とあり、これが神道という言葉の典拠とされている。
したがって、この若である20䷓風地観は、神のことを指す暗号だったのである。
二つの名前に共通する御毛沼の部分は文字の順を入れ換えて御沼毛とすれば、見抜けの意と解釈できる。
これにより若御毛沼と豊御毛沼を合わせると、豊は55䷵雷火豊のこととすれば、神と55䷵雷火豊を見抜け、と示していることになる。
前章の3で、用明天皇の国風諡号の橘之豊日の解読では、䷵雷火豊が男女の交わりと、その結果としての妊娠を意味することをお話し、以後、この豊の字が出て来ると、すべて同じように性交と妊娠の意味だとして、こまで解読してきた。
このことを念頭に、神武天皇の国風諡号の神倭伊波礼毘古を眺めると、見えて来るものがある。
倭の字は、イ=ニンベンを取ると委とい字になり、委の上の禾は稲のことだから、☳震(雷)、下の女は☲離(火)で、これまた䷵雷火豊になるのだ。
そしてイ=ニンベンは二画だから、その䷵雷火豊の下から二番目を指していることになる。
指しているということは、易の通例で、その下から二番目の記号が変化することを意味する。
䷵雷火豊の下から二番目は、☲離(火)の真ん中の陰⚋の記号のところである。
ここか変化するというのは、陰⚋が陽⚊に変化することだから、男性が女性の上で震動した結果として、☲離(火)の女性の中で、無から有が生じること、すなわち胎児のことになるのだ。
要するに倭とは胎児のことだったのです。
したがって伊波礼毘古の伊波礼は謂われ、毘古は日子のことであって、神倭伊波礼毘古で、昔の日本が中国から倭と謂われたのは、日子である女帝たちが胎児を神としていたことによる、と教えていたのだ。
こう読めるからには、易の理論を利用した暗号を書物に仕込み、真実は易を知る者だけに伝える手法は、日本だけではなく、中国でも昔から行われていて、それを古事記日本書紀編纂に当たって利用した、ということになる。
〇 易の暗号利用は論語に仄めかしている
そう考えてみて思い当たるのが、孔子の言行録『論語』雍也第六にある言葉だ。
「中人以上、可二以語一レ上也、中人以下、不レ可二以語一レ上也」(原文)
「中人以上には以って上を語ぐべきなり、中人以下には以って上を語ぐべからざるなり」(書き下し)
中人以上は易を知っている人、中人以下はせいぜい論語までしか読んでなくて、易は知らない人、ということだ。
論語は孔子の弟子が孔子の言葉などを書いたもので、孔子が自ら書いたものではない。
孔子が自ら書いたのは、唯一、易の十翼と呼ばれる注釈書群だけだと伝わっているのだ。
きちんと孔子のことを勉強するのであれば、この孔子が自ら書いたと伝わる易の十翼を読まないといけない。
易の十翼を読むということは、要するに易を知っている、ということである。
したがって易を知っているか知らないかが中人以上以下を分けるのであって、上のことは易を知っている者にだけ教える、ということなのである。
事実、『論語』為政第二には、こんな言葉がある。
「吾十有五而志二于学一、三十而立、四十而不レ惑、五十而知二天命一、六十而耳順、七十而従二心所一レ欲、不レ踰レ矩」(原文)
「吾れ十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」(書き下し)
この言葉、普通は、なんでその年齢でそういうことなのか意味不明とされているわけだが、易を知っていれば、ああ、易と数の関係に基づいてこう言ったんだな、と簡単にわかってニヤッとするものなのです。
これについての詳細は漢文として楽しむ論語の中で詳しく解説しているので、気になる方はそちらを御覧ください。
〇 神社の鳥居とは何か
ちなみにこの20䷓風地観は、左図のように鳥居の形である
上に二本陽が並んだ記号の様子をヒントに鳥居の形は考案された、ということである。
また鳥居は鶏の居場所という意味でもあるが、☴巽(風)には鶏という意味がある。
古代人にとって鶏は、朝が近づくとコケコッコーと鳴いて、太陽に朝だから出て来い、と呼びかけているかのように感じていた、という面もあったのだろう。
天の神道で一番大事なのは、太陽の動きである。
日の出から日没まで、太陽は天空を動き、春夏秋冬でその位置は変り、雲に隠れれば雨が降るなど、天の様子を観察して日々生活に役立てる上で最も重要だからである。
太陽がサボって日の出が遅れたら大変である。
だから毎日、鶏がちゃんとコケコッコーと鳴いて朝が来るぞと太陽に呼びかける必要がある。
そのためには、鶏が安心して夜を過ごせる居場所が必要である。
平屋の建物の屋根くらいの高さまでなら、鶏もなんとか飛べ、その高さがあれば、寝ている間に動物に襲われる危険は少ない。
そう考えて、最初の頃は鳥居の高さを平屋建ての屋根程度にしたのだろう。
それがだんだんと文明が進むに連れて、鶏が鳴くから太陽が昇るわけではないことがわかり、本来の目的が形骸化し、神域を区切る門としての役割だけの存在となり、さらに現代では、とても鶏の居場所にはならないような高くて巨大な鳥居も造られるようになった…ということだろう。
としても奈良時代の人たちは、鶏が鳴いて太陽に朝を知らせるから太陽が昇るのだ、と信じていた時代の記憶が残っていたから、天岩戸の話で、岩戸の奥に籠った天照大御神を引き出すために、常世の長鳴き鶏を鳴かせた、なんてことを書いたのだろう。
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