危険な古代史
古事記日本書紀のトリッキーな数字の仕掛け
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第一章 第二章 第三章 第五章 第六章 第七章 第八章 第九章 第十章
第四章 持統天皇と〇〇の危険な情事!
1、仲哀天皇の崩年齢52歳の意味 2、持統天皇とその周辺の表向きの歴史 3、高市皇子による持統天皇暗殺事件! 4、草壁皇子の出生の秘密 5、暗号のための日付と正しい日付 6、天武天皇と持統天皇そして稗田阿礼 7、持統天皇周辺の暗号が教える歴史
4、草壁皇子の出生の秘密
〇 仲哀天皇の古事記崩年干支の意味
各天皇とA列B列との関係表
41持統天皇のA列44䷫天風姤は神功皇后のB列でもあるわけだが、古事記日本書紀編纂者は何故このような関係を作ったのだろうか。
これまでの解読の経緯からすれば、神功皇后は持統天皇の真実の姿を教えるための暗号だと考えるのが自然である。
そして持統天皇は天武天皇の皇后、神功皇后は仲哀天皇の皇后である。
とすると、この四人を探ることで何か出て来そうである。
古事記には、一部の天皇については、分注として崩年を干支で示しているのだが、A列B列との対応関係確認作業では、これについては全く触れなかった。
崩年干支はA列B列と繋がらないからである。
しかし暗号文書である以上これも暗号と考えられる。
古事記序文にある撰進の日付と繋がる1神武天皇、12景行天皇、14仲哀天皇の中では、14仲哀天皇にだけその記載がある。
壬戌年六月十一日崩
神功皇后が持統天皇に関する真実を教えるための暗号ならば、この日付も持統天皇や天武天皇が生きた時代のものの可能性がある。
探してみると、皇紀1322年(西暦662年)すなわち天智元年が壬戌歳となっている。
この年の持統天皇関連の記事と言えば、「持統紀」冒頭にある草壁皇子を九州の大津宮(現・福岡県博多付近)で生んだことである。
おや、神功皇后が応神天皇を生んだのも同じ筑紫すなわち福岡県ではないか。
一方、6月11日ということから天智元年壬戌歳六月条を見ると、11日ではないが、次の記事があった。
六月己未朔丙戌、百済遣二達率萬智等進調献物一。(原文)
訳=6月己未朔丙戌(28日)に、百済の達率萬智等が、贈り物を持ってやって来た=達率は百済の官位の名称、萬智は人名。
これで仲哀天皇の古事記の崩年干支月日「壬戌年六月十一日」のうちの「壬戌年六月」までは使ったことになる。
残るのは「十一日」だ。
しかし6月にはこの28日の記事しかないので、これが本当に暗号ならば、この記事の中の何か別のことを示すのが「11日」という日付の数字のはずだ。
考えられるのは、「六月」の次から数えて11番目の文字に何か隠されているのではないか、ということだ。
数えてみると「六月己未朔丙戌、百済遣達率萬智等進調献物」だから、「達率萬智」の「萬」が11番目であり、続く「智」の字の下の部分には「日」が付いていて「十一日」の「日」と共通する。
これはドンピシャリだ!
とすると、暗号はこの「萬智」の二文字以外にはあり得ない。
そこで、この二文字を易の卦に置き換えて考えてみた。
乱数表(易の理論)
萬は、十と同様に小なるものの集合を表す文字だから☷坤(地)となる。
智は矢と口と日に分解すれば、矢はその形状〔→〕から一本の陽⚊、口は☱兌(沢)で少陰だから一本の陰⚋、日は☲離(火)でこれも少陰だから一本の陰⚋となるので、書き順に従って縦に並べると☶艮(山)になる。
したがって萬智と合わせれば左図のように15䷎地山謙となる。
この卦は☶艮(山)の山が自らの高さを誇らず☷坤(地)の平地の下に謙っている形である。
だから「へりくだる」という意味で「謙」と名付けられたのだ。
が、同時に☷坤(地)を腹とし、腹の下の方が☶艮(山)で山のように盛り上がった状態を表現すると共に、母を意味する2䷁坤為地の下すなわち母の下腹部に一陽⚊の生気すなわち胎児が芽生えた(下から三番目が陰から陽に変化した)形でもあるので、妊娠をも暗示する。
百済からの贈り物、妊娠、草壁皇子の出生。
これらを繋げると、「草壁皇子は持統天皇と百済からの使者との間に出来た子供であり、父親は天武天皇ではない」と示しているのに外ならない。
そして神功皇后は、妊娠期間が通常よりやや長いことや(304日以上=通常は約290日)、生まれた16応神天皇を連れて倭に帰るのに大変な苦労があったとする物語(この皇位継承を認めない勢力との武力衝突)、『古事記』序文の裏メッセージにある持統天皇の汚職等を考え合わせれば、次のようなことが浮かぶ。
持統天皇は百済からの使者との間に出来た草壁皇子を天武天皇の子だと言い張り、疑念を抱く人々の反対は賄賂などで封じ込め、ついには無理矢理皇太子としてしまった…。
何やら時代劇の題材にもなりそうな話だが、これにより天武天皇崩御の時に起きた大津皇子の謀反も、その理由が自ずと判明するではないか。
〇 大津皇子の謀反の意味
暗号解読には名前が重要である。
大津という名は草壁皇子出生地の大津宮と共通する。
とすると、大津皇子の謀反理由が草壁皇子の出生の秘密にあったことを告げる暗号に違いない。
すなわち、
大津皇子は草壁皇子が天武天皇の子ではない確証を握っていたので、草壁即位を実力阻止しょうとしたのだが、多勢に無勢、逆に謀反者の汚名を着せられ処刑された。
しかしこれにより、草壁出生疑惑が流布され、即位は断念せざるを得なくなった…。
ということである。
さて、その草壁皇子だが、表向きの歴史では持統三年四月癸未朔乙未(13日)に薨去と記載されているわけだが、死因については何ひとつ触れられていない。
とするとその辺も探ってみたい。
〇 市変之忍歯王が教える草壁皇子暗殺事件
持統天皇暗殺事件は古事記の21安康天皇のところに隠されていたのだから、草壁皇子薨去に何か秘密があるのなら、やはりその安康天皇付近に暗号は隠されていると考えるのが順当である。
調べてみると、そこには市辺之忍歯王という名前があった。
これまでの暗号解読を踏まえてこの名前を眺めると、「高市皇子周辺の話を水歯別(19反正天皇)の話の中に忍ばせた」という意味に受け取れるではないか。
一方、草壁皇子薨去が持統三年四月ということから、その三と四という数字で易の卦に置き換えると、三は☲離(火)・四は☳震(雷)だから、18履中天皇のA列21䷔火雷噬嗑となる。
その18履中天皇のところには、水歯別=履中天皇の弟で次の19反正天皇に関しての、次のような話があった。
ある日のこと、水歯別は、兄の履中天皇から、墨江中王を殺害することを命じられた。
水歯別は墨江中王の側近の曾婆訶理という人物に「御前の主人の墨江中王を殺してくれたら、自分が天皇となった暁には、御前を大臣にしよう」と言って唆した。
曾婆訶理は喜んでその話に乗った。
しかし、曾婆訶理が墨江中王を殺して意気揚々と帰って来ると、簡単に自分の主人を裏切るような奴は信用出来ないとして、その曾婆訶理を殺してしまった。
これが暗号ならば、墨江中王は草壁皇子、水歯別は高市皇子のことであって、「草壁皇子は高市皇子により暗殺された」と示していることになる。
そして実行者すなわち曾婆訶理に当たるのは、草壁皇子薨去の9日後の甲辰(22日)に薨ったとある春日王なる人物に他ならないはずである。
春日王はこの記事にしか登場しない人物である上に出自も不明である。
曾婆訶理が主人を裏切り寝返ったことにちなみ、春日の上下を逆に寝返らせた上で易の卦に置き換えると、春は☳震(雷)、日は☲離(火)だから、持統三年四月と同様に18履中天皇のA列21䷔火雷噬嗑を示していることになる。
曾婆訶理が登場するのは履中天皇のところである。
このように春日王と曾婆訶理は繋がっているのだ。
しかし、ひとつ問題がある。
持統天皇暗殺を教えたのは7月1日の日蝕記事だった。
しかしこの事件が実際に起きたのが7月1日ではなく、それは翌年の請雨(雨乞い)記事の干支の矛盾から、7月3日だと教えていたことは前ページでお話しした。
このように、草壁皇子暗殺事件も、これまでの暗号はその事件があったことを教えるためのもので、実際に起きたのは別の年月日の可能性がある。
そこで次に、その実際に起きた年月日を探ることにする。
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